教室の紹介

教室沿革

(初代)
下田光造 教授

本教室は故下田光造初代教授により昭和20年9月に官立米子医学専門学校精神医学講座として開講された。

下田は米子医学専門学校校長を兼任し、激務の傍ら教室作りに着手した。まず、外来診療が開始され、昭和22年には入院治療も行うようになった。下田は、我が国におけるうつ病の病前性格として世界に先駆けて「執着気質(immodithymia)」を発表したことなど我が国の精神医学界に大きな足跡を残している。

また、下田は禅など東洋の文化を精神療法へ広く取り入れるとともに東京大学同門の先輩に当たる森田正馬が始めた森田療法を高く評価し積極的に治療に組み入れた。これら精神療法、心理社会的治療学のみならず、神経病理学、生化学を基礎とした生物学的精神医学も精力的に研究を行い我が国の精神医学の科学的研究基盤を作った。

その業績は高く評価され、本学医学部における最優秀の研究論文に対して授与される「下田賞」として、キャンパスに建立された銅像にとしてその名は今なお語り継がれている。


(2代)
奥村二吉 教授

昭和24年故奥村二吉が第2代教授に就任したのち、昭和26年には本教室は鳥取大学医学部神経精神医学講座となった。
時期を同じくして米子城裏に城南病棟が開設され、診療や脳代謝などの研究活動が活発に行われた。


(3代)
新福尚武 教授

昭和31年新福尚武が第3代教授として就任し、老年期精神医学・神経症の病理に関する大きな業績を残した。


(4代)
大熊輝雄 教授

昭和41年大熊輝雄が第4代教授に就任。
REM期覚醒法による夢の研究、各種精神神経疾患の薬物耐性の研究、などが精力的に行われた。


(5代)
挾間秀文 教授

昭和49年挾間秀文が第5代教授に就任。
神経化学的研究を専門とし、医局員の海外留学も積極的に行われるようになった。平成2年には新病棟も設立された。


(6代)
川原隆造 教授

平成6年川原隆造が第6代教授に就任し、実験てんかんモデルによるてんかん研究や内観療法の分野で活躍した。
平成14年には本教室は鳥取大学医学部統合内科学講座精神行動医学分野と名称変更。


(7代)
中込和幸 教授

平成17年中込和幸教授が第7代教授として着任し、認知矯正療法など統合失調症の認知機能障害への取り組み、うつ病関連自殺予防研究、NIRS・ERPなどの神経生理学分野など多岐にわたり臨床・研究活動を行った。

平成19年10月には閉鎖病棟が新設され、精神科救急など更なる分野への積極的な取り組みがすすめられた。 平成21年には、脳幹性疾患研究施設が改組され、脳神経内科、脳神経外科、脳神経小児科、と一緒に医学部医学科の大講座である脳神経医科学講座となり、これらの教室と密接な協力・連携体制を形成し、研究のみならず医学教育にも一層取り組む体制となった。


(8代)
兼子幸一 教授

平成23年兼子幸一教授が第8代教授として就任し、統合失調症患者の認知リハビリテーションや現在の自閉症の概念をいち早く取り入れ患者の理解と社会復帰に貢献した。また平成28年より脳とこころの医療センター(脳神経内科、脳神経外科、脳神経小児科、精神科)のセンター長を務め、脳分野のとりまとめに尽力した。